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院長プロフィール

ごあいさつ

私の全てをお見せします!全て知ってくださいね。初めまして!1972年9月29日(生)院長の津久井 佑隆と言います。現在、奥さんと娘2人の4人家族です。自分に子供が出来るまでは子供って苦手…という状態でしたが現在は可愛くてしかたありません。 そんな私ですが葛飾で生まれ、埼玉県草加市で育ちました。整骨院を営む父と院のお手伝いをする母と兄弟3人の末っ子として誕生しました。うちの家系は、祖父の代から整骨治療院をしており、約70年前よりこの(現在私がやっている)小菅の地に整骨院と柔道場をひらいており、おじいちゃんは柔道七段、昔の柔術(気楽流)の免許皆伝者でもあり、その技の活法をもとに、瀕死の状態の人の命を何人も救ったと聞いており、その術を治療に生かし歩けないで困っている腰痛の方など、帰りには笑顔で歩いて帰っていたよと聞いています。そういう影響もあり、その術を生かし私の父や叔父さんや叔母さん、その子供達も整骨院を営んでおり、関東近県に6件ほどあります。私の実家の整骨院も地元ではちょっとした有名な老舗整骨院で、何千症例以上の難しい症例を治してきた実績から病院の先生からも紹介してもらえる、『津久井さんに診てもらえば、手術しなくても大丈夫だよ』といわれるほど、先生方や患者さんから信頼されています。 そういう環境の中、私もこうなりたいなぁという気持ちは小さい時ながらありました。小さい頃は、末っ子ということもあり、自由奔放に育ちました。私の性格ですが、のんびり屋でマイペースで周りからは「話し方が遅い」とも言われます。そんな私ですが、夢中になった事に対してはもの凄い頑固になります。これだと思ったことには、とことんはまります。柔道もその1つで幼少より始め40年以上経った今でも続けております。特に中学からは、毎日が柔道漬けの日々でした、辛い練習ばかりでした。でもなんでその練習に耐えることができたのか?その先に目標があったからです。更にその目標を達成した時の喜び、感動を味わってしまったからです。今の仕事も一緒です。どっぷりはまってます。その後、東海大体育学部に入り、柔道でオリンピックを目指し、体育の教員を目指した時期もありましたが、やはり病んでいる人の手助けのできるこの仕事を選びました。 大学卒業後すぐに専門学校に入り、同時に江戸のほねつぎとして有名な荒川の名倉病院にて約5年間修行、救急病院ですので交通事故などひどい骨折や外傷がわんさか運び込まれてきます。そんな中、厳しくて厳しい諸先生方に叩かれながら研修させていただき、様々な骨折、脱臼などの症例を経験し治していく事が出来ました。その後、実家の津久井整骨院にて1年間、ここで父と兄がやっている鍼灸治療の効果に驚き、鍼灸の専門学校に通いはじめました。日曜日は毎週のように治療の勉強会に参加する日々が始まりました。いくらか自信がついてきた頃、葛飾の立石整骨院で院長をしないかというオファーがあり、引き受けました。ここでは約5年間で3,300人ほどの患者を新規で診ることになり、いろんな症例を経験させていただき、同時に内外における人間関係という、貴重な勉強をさせていただきました。これまで学んできた構造医学や操体法、キネシオテーピングといったさまざまな治療を研究・分析し、現在の治療体系の元が出来上がってきたのもこの頃でした。さらに理想の治療を追求し、つらい思いをしているたくさんの人たちに提供するため、平成17年この歴史のある小菅の地で開院させてもらい、これも運命かなぁと思っております。結果的に6年間医療の学校に通い、現在は柔道整復師・鍼師・灸師という国家資格を所有しています。 柔道整復師(骨接ぎ)として出来て当たり前のことがあります。骨折・脱臼の処置です。整骨院の先生はみんな出来て当たり前です。実際は?97%の整骨院の先生は処置できないだけでなく処置したことすらないと思います。私はそんな外傷にあわれた方の、はじめの処置が一番大事と考えていますので、救護活動にも積極的に参加しています。柔道大会の救護、冬場はスキー場の救護所など  

私の全てをお見せします!全て知ってくださいね。

初めまして!
1972年9月29日(生)
院長の津久井 佑隆と言います。

現在、奥さんと娘2人の4人家族です。
自分に子供が出来るまでは子供って苦手…
という状態でしたが現在は可愛くてしかたありません。

 

そんな私ですが葛飾で生まれ、埼玉県草加市で育ちました。
整骨院を営む父と院のお手伝いをする母と兄弟3人の末っ子として誕生しました。

うちの家系は、祖父の代から整骨治療院をしており、約70年前よりこの(現在私がやっている)小菅の地に
整骨院と柔道場をひらいており、おじいちゃんは柔道七段、昔の柔術(気楽流)の免許皆伝者でもあり、
その技の活法をもとに、瀕死の状態の人の命を何人も救ったと聞いており、その術を治療に生かし歩けないで困っている腰痛の方など、帰りには笑顔で歩いて帰っていたよと聞いています。

そういう影響もあり、その術を生かし私の父や叔父さんや叔母さん、その子供達も整骨院を営んでおり、関東近県に6件ほどあります。

私の実家の整骨院も地元ではちょっとした有名な老舗整骨院で、何千症例以上の難しい症例を治してきた実績から
病院の先生からも紹介してもらえる、『津久井さんに診てもらえば、手術しなくても大丈夫だよ』といわれるほど、先生方や患者さんから信頼されています。

 

そういう環境の中、私もこうなりたいなぁという気持ちは小さい時ながらありました。
小さい頃は、末っ子ということもあり、自由奔放に育ちました。
私の性格ですが、のんびり屋でマイペースで周りからは「話し方が遅い」とも言われます。

そんな私ですが、夢中になった事に対してはもの凄い頑固になります。
これだと思ったことには、とことんはまります。

柔道もその1つで幼少より始め40年以上経った今でも続けております。
特に中学からは、毎日が柔道漬けの日々でした、辛い練習ばかりでした。
でもなんでその練習に耐えることができたのか?その先に目標があったからです。
更にその目標を達成した時の喜び、感動を味わってしまったからです。
今の仕事も一緒です。どっぷりはまってます。

その後、東海大体育学部に入り、柔道でオリンピックを目指し、体育の教員を目指した時期もありましたが、やはり病んでいる人の手助けのできるこの仕事を選びました。

 

大学卒業後すぐに専門学校に入り、同時に江戸のほねつぎとして有名な荒川の名倉病院にて約5年間修行、
救急病院ですので交通事故などひどい骨折や外傷がわんさか運び込まれてきます。
そんな中、厳しくて厳しい諸先生方に叩かれながら研修させていただき、様々な骨折、脱臼などの症例を経験し治していく事が出来ました。

その後、実家の津久井整骨院にて1年間、ここで父と兄がやっている鍼灸治療の効果に驚き、鍼灸の専門学校に通いはじめました。

日曜日は毎週のように治療の勉強会に参加する日々が始まりました。
いくらか自信がついてきた頃、葛飾の立石整骨院で院長をしないかというオファーがあり、引き受けました。

ここでは約5年間で3,300人ほどの患者を新規で診ることになり、いろんな症例を経験させていただき、同時に内外における人間関係という、貴重な勉強をさせていただきました。

これまで学んできた構造医学や操体法、キネシオテーピングといったさまざまな治療を研究・分析し、現在の治療体系の元が出来上がってきたのもこの頃でした。

さらに理想の治療を追求し、つらい思いをしているたくさんの人たちに提供するため、平成17年この歴史のある小菅の地で開院させてもらい、これも運命かなぁと思っております。

結果的に6年間医療の学校に通い、現在は柔道整復師・鍼師・灸師という国家資格を所有しています。

 

柔道整復師(骨接ぎ)として出来て当たり前のことがあります。
骨折・脱臼の処置です。
整骨院の先生はみんな出来て当たり前です。

実際は?

97%の整骨院の先生は処置できないだけでなく処置したことすらないと思います。

私はそんな外傷にあわれた方の、はじめの処置が一番大事と考えていますので、救護活動にも積極的に参加しています。柔道大会の救護、冬場はスキー場の救護所など

 

 

70年前津久井整骨院 治療院

70年前
津久井整骨院 治療院

平成26年9月20日第11回 日本マスターズ柔道大会(日本ベテランズ国際柔道大会)40歳代の部 81㎏級 優勝

平成26年9月20日
第11回 日本マスターズ柔道大会
(日本ベテランズ国際柔道大会)

40歳代の部 81㎏級 優勝

ご挨拶

はじめまして、あやいち整骨院 院長の松丸 輝吉です。

当ホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。IMG_1246

 

ここでは私の自己紹介をしたいと思います。

 

私こと、松丸は少年時代は水泳とサッカーをやっていて、スポーツ大好き人間。

 

そんな私は、スポーツにケガは付き物とばかりにケガをしていました。

 

ケガした時は親に連れられ、近所の「整形外科」にもちょこちょこ行きました。

 

そこではレントゲンを撮り、「骨に異常はありませんね」と「シップをつけといて痛みが引かないようだと

 

また来てね」というものでした。

 

その頃の私はそれが当たり前だと思っていました。

 

そんな私は中学生になり日本の国技である柔道を習い始めました。

 

興味のあることはとことんやる私はぐんぐん成績を伸ばし、高校時代は県大会個人で決勝に駒を進めるほどに

 

なりました。

 

強くなるにつれ試合回数が増えた時、とうとう膝に大けがを負ってしまいました。

 

それは歩くことも立つこともできないくらいの重症でした。

 

地元では有名なプロスポーツ選手も通っていた整形外科に行きレントゲンにMRIといった検査をしてもらい、

 

医師の診断は靭帯2本と半月板を損傷しているから選択肢は手術のみ。

 

と、とても辛いことを宣言されました。

 

その手術をすればもちろんその後の試合には間に合いません。

 

悩んだ末、私は紹介である整骨院を訪れました。

 

それは今後の私人生の転機になる事でした。

 

その先生の治療を受けるとみるみる回復し、無理だと思っていた試合にも出ることが出来ました。

 

この時、本当に必要なのは適切な治療を受ける事。そうすればひどい症状でも体は回復していくものなんだと

 

気付かされました。

 

この体験から整骨院に勤め、私のようにケガや体の不調に悩んでいる方の手助けにないたいと思うようになり

 

ました。

 

そこから専修学校に進学し、入学した時から整骨院で修行をしながら数多くの勉強会に参加しました。

 

その熱意は国家資格取得後の今でも冷めず、今も複数勉強会に参加しています。

 

そんな私のモットーは「誰もが安心して通える整骨院」です。

 

どんな患者様も、悩みが無くなると笑顔になります。

 

色々な悩みを抱える患者様の笑顔を取り戻せるようお力添えをしていきたいと思います。

 

 

当「あやいち整骨院」であなたのご来院をお待ちしています。

 

 

あやいち整骨院 院長 松丸 輝吉

 

柔道整復師として!

柔道整復師(骨接ぎ)として出来て当たり前のことがあります。

骨折・脱臼の処置です。

整骨院の先生はみんな出来て当たり前です。

実際は?

97%の整骨院の先生は処置できないだけでなく処置したことすらないと思います。

私はそんな外傷にあわれた方の、はじめの処置が一番大事と考えていますので、救護活動にも積極的に参加しています。柔道大会の救護、冬場はスキー場の救護所など

有名ゴッドハンドが凄腕と認めてくれました。

松丸先生の整骨院をみせて頂き一番驚いたのは皆さんがとても笑顔になって行くことです。
先生のもとには、どこに通ってもなかなかよくならなかった長年の症状をもつ患者様が多く、

施術家としては本当に腕を試されるような難しい疾患を抱える方も多く来院されていますが、
皆さん笑顔になり帰っていきます。


もしも関東・都内在住で痛みを抱えて本当に困っている方は、
すぐにでも先生のところへ来院されるべきだと思います。

“松丸先生なら、きっとあなたの力になってくれることでしょう。』

石原 篤先生

石原 篤先生

柔道整復師・鍼灸師
ケアマネージャー
アメリカアスレチックコンディショニング協会公認
アスレチックトレーナー
キネシオテーピング協会指導員

勉強会、学会発表経験多数あり

現在、患者様より『先生のおかげで治りました!!』
との声を直筆で頂いております。

これらの経験から自信を持って葛飾区内、外の地域のみなさんの健康に携われるという確信があります。

院長プロフィール

柔道整復師  松丸 輝吉
[特技] 柔道弐段
[趣味] カラオケ ボーリング ウォーキング